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奈良家庭裁判所 昭和43年(少)143号 決定 1968年3月07日

少年 D・R(昭二二・一二・八生)

主文

この事件について、少年を保護処分に付さない。

理由

少年に対する送致書記載の犯罪事実は、「少年D・Rは、昭和四三年二月○○日午後一時一五分頃、奈良県天理市○町○○番地の自宅である株式会社○○○○○現像所社宅奥六畳の部屋において点火中の箱型石油ストーブを故意にひつくり返してビニール製の上敷に点火させて火を放ち同建物の天井に燃え移らせ、よつてその父D・Jほか二名が住居に使用している前記会社々長○田○喜所有の本造トタン葺平家建建坪約三五平方米の住宅一棟を焼燬したものである」というのである。

よつて審按するのに、

当審判廷における少年D・Rの陳述ならびに送致資料によると、送致書記載の外形的事実(但し、本件社宅を住居としてこれに起居していたのは少年とその父D・J(当五二年)および母D・T子(四八年)との家族三名と認める。)は総べてこれを肯認することができる。

しかしながら、審判廷における少年および保護者である父D・J、母D・T子の各陳述、調査官小西光男の調査の結果、奈良少年鑑別所の鑑別結果、医師大海作夫作成の少年に対する精神鑑定についての意見書および一件送致資料らを綜合すると、少年の性格は、活動性が極度に乏しく劣等感が強く自信に乏しく、また非常に内向的であつて、主観性が強く不信、不満の念を持ち易く、猜疑心も強く、非常に偏つたものの見方や判断をしやすく、しかも内省力が乏しくて情緒不安定であつて社会適応性が非常に悪いものであること。そして少年は、昭和四〇年当時市立○○高校二年の在学中の頃から急に学業成績低下し、その頃からノイローゼ症状が表われて異常の言動を発し時に「戸外の通行人が自分を非難……あいつ人殺しをしながらよくこんな家に住んでおられる……などと評をしながら通つた」と父母に訴えたり、或は再三深更突如寝床から起き上り、窓の戸を開けてきき耳を立てながら「今表を歩いていた人が自分のこと何かいいながら通行した」とかいつて家族に訴えるなど所謂被害妄想、敏感関係妄想の徴候を呈し、また昨年秋以降は、他人に会うことを厭い終日家に閉ぢ籠り茫然としてテレビを眺めて無意無力の生活を続けていたこと。本件放火の動機態様についても「自分は昼食後独りで寝そべつてテレビを見ていたがそのときのテレビの内容がどんなものであつたか想い浮ばない。両手で燃えているストーブの底を持ちひつくり返したことは間違いない。ストーブから燃え拡がつていくのを見ていたが消さねばならぬとの考えは起きなかつた。燃え上つてきて熱くなつたので外へ出ようと思つて通路を通り次の部屋で母親の顔を見てから急に消そうという気になつてそこにあつた消火器をもち引返して消しかけたが消えなかつた。外に出て会社の人や消防が消火しているのを立つて見ていたように思うがその間少しでも家財器具を持ち出さなならんとの考も起きなかつた。何故ストーブを転倒さしたのかと聞かれても自分でも理由が判らない」との旨を無表情に陳述する有様を観察すると将に「感情の鈍麻」を呈していることが看取できる。これらのことや前示の鑑別結果・鑑定意見等を総合すると少年は、本件行為当時高度の精神分裂病(破瓜型)に罹患していて、ものごとの是非善悪を弁識しそれによつて行為する能力を欠くところの心神喪失の状態にあつたものと認められるのである。

そうだとすると少年の本件行為につき、非行あるものとしてその責任を問うことを得ないので少年法二三条二項前段により主文のとおり決定する。

(裁判官 若木忠義)

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